ソムニードの 基本理念と中期方針
(2011年度〜2014年度)
SOMNEED Philosophy & Mid-term Guidelines
【中期方針の前提】
この中期方針は、常時の中期方針と違います。たまたま東日本大震災が起こったときと前後して策定するということになったからです。ソムニードが日本の団体である以上、そしてソムニードで活動する私たちが日本人である以上、この震災が私たちに投げかける問題に正面から向き合わずに、今後の活動を続けるわけにはいきません。したがって、この中期方針は震災からの現時点での学び、そこから見える日本の現状など国内のことに大きなスペースを割くことになったことをあらかじめお断りいたします。
この中期方針を策定する過程で、東日本大震災が起きました。救援、そして復興へつながる動きの中にソムニードもささやかながら参加し、そのため、昨年度末までに終了するはずの中期方針の策定がやむを得ず遅れることになりました。そのような自然災害による巨大な破壊と混乱、そして復興へのかすかな光の中で、この中期方針を仕上げることになりました。
この震災で私たちに見えてきたことは多々ありますが、まだ全貌が分かる段階ではありません。その段階で分かったことを云々するのは早急かもしれませんが、中期方針をこれ以上遅らせるわけにはいきません。したがって、分かった範囲で、そしてソムニードの活動にかかわる範囲で、今回の震災が私たちに教えたことも述べていきます。
それにしても、自然のすさまじい破壊とともに、むしろ崩壊と表現した方が適切な事象が多々ありました。福島第1原子力発電所が示した原子力によるエネルギー供給の危うさも、その一つです。フクシマと呼ばれるようになったこの事故が示すのは、単にエネルギーの供給の危機ではなく、環境までも含めた私たちのごく普通の日常、私たちが「当たり前」だと思っていた生活がいかに脆いものであったかということです。さらに衝撃的なのは、そのような生活の脆さ、基盤の危うさが、大都市であると地方であるとにかかわらず露呈したことです。
私たちは、ソムニードとして今後も国の内外でいわゆるコミュニティー開発、日本的な表現をすれば「地域興し」とでも呼べるような活動を展開していきます。しかし、これまでと違い、どのような未来を目指して地域の方たちと一緒に活動をしていくかという私たちが持つべき方針の重要性は、これまでの比ではありません。
したがってこの中期方針では、そのような活動のビジョンをこれまで以上に明確に示す必要があります。
【東日本大震災の教訓】
震災以来、毎日新聞紙上で発表される亡くなった方々のリストを見るたびに、胸を締め付けられる思いがします。延々と続くそれを見ていると、一瞬にして奪われた膨大な日常に思いを致し、この破壊のすさまじさにどのような意味を見いだせばいいのか惑います。とりわけこのリストを見るたびに思うのは、高齢者のお名前が圧倒的に多いことです。いちいち数えてはいませんが、70歳以上の方々が、半分から三分の二を占めているのではないでしょうか。
今回の震災で、津波に関して様々なところで触れられたのが、貞観11年の津波です。西暦でいうと869年。平安時代も中期にさしかかろうという頃です。この津波は今回の津波に匹敵する規模だったらしく、内陸数キロの地点までその痕跡があるとか。この津波でも多大な犠牲者が出、東日本の要だった多賀城が潰え去ったということです。この当時の日本の全人口は、推計で644万人。今回被害の大きかった宮城県、岩手県、福島県の人口の合計が571万人ですから、1100年前の日本の全人口にほぼ匹敵します。おそらくこの3県に当たる地域の当時の人口は100万人以下、数十万人程度であったでしょう。ただし、現在この3県の人口が日本の全人口に占める割合は4.5%ですから、人口比で言えば、当時の方が比重が遙かに大きかったはずです。人口に関する数字の比較をもう少し続けます。今より絶対数では遙かに人口が少なかった当時の日本ですが、年少者の人口(14歳以下)が占める割合は、41.6%、青壮年(15歳以上59歳以下)は55.6%、そして老年(60歳以上)が2.9%です。単純に比較するわけにはいきませんが、この3県平均で、年少者は13.2%、生産人口(15歳以上64歳以下)は62.1%、そして老齢人口(65歳以上)が24.5%です。貞観の人が現代の東北を見たら、あまりの老人の多さにびっくりするかもしれません。さて、老齢者人口が多いという他に、この3県の人口の特徴を見てみると、人口の増減率で特に福島、岩手の2県が目立っています。宮城県は−0.2で12位、福島県は−0.62で37位、岩手は−0.87で43位です。これは順位が低いほど逆に人口の減少が多いと言うことです。要するに、今度の震災は、過疎老齢化の激しいところを襲ったと言えるでしょう。その過疎と高齢化で苦労をしている福島県が、自らを犠牲にして人口過密地である首都圏に電気を供給していたということが如実に分かったことも、今回の震災が明らかにしたつらい事実でした。
高齢化と過疎が被災地全体の基調であるとすれば、復興の過程で外から多くの働き盛りの人たちの応援が要ります。特に、それは点在する小集落でより必要なものとなるでしょう。
ところで、この過疎で高齢化の進んでいる地方が、生活スタイルは完全に都市型であったということも、今回の震災で改めて明らかになったことではないでしょうか。それは、簡単に言ってしまえば、生活に必要な物資、エネルギーを完全に、あるいはほぼ完全に外に依存しているということです。生産地なのにどうして、という疑問があるかもしれませんが、魚介物であれ農産物であれ、商品として生産し出荷しているわけですから、基本的には自動車を工場で生産するのと理屈としては変わりません。逆に、自分が商品として生産するもの以外は外から買うわけです。そのような意味で、都市型とは別の言い方をすればあらゆることが「専門化」していると言えます。それは、流通も含めてで、今回、効率化のために集中していた物流が、いったんそれを成り立たせていたインフラなどの条件がなくなるとあっという間に機能しなくなったということを示しました。心臓に近い大動脈で血流が止まると、あっという間に毛細血管まで血が通わなくなったような事態です。
それは、電気などのエネルギーについても同じことが言えます。救援の初動期で、山のように集まった救援物資が、道路が寸断され、しかも石油がないという理由で運べなかったことはよく知られています。
第二次世界大戦の後、私たちは経済成長とともに消費生活を拡大し、近年のいわゆる市場経済化、グローバル化でそれが極限にまで進むことを経験してきました。「極限まで」というのは、もちろんそれがこのような形ではじけてから気がついた、あるいは実感したことですが。それは、ある意味では翼を大きく広げ、遠くまで羽ばたいたけれど、気がついてみれば足を付ける地面が危ういものになっていた、あるいは帰るべき地面が消え去りかけていたということでしょう。
とにかく、あらゆる面でおおもとが止まれば末端まで立ち枯れるという恐ろしさを私たちは目の当たりにしました。これを要するに、今回の震災で如実に示されたことの大きな一つが、それぞれの地域の資源を活かしたリスクヘッジがされていなかったということではないでしょうか。それはとりもなおさず、人間の生活のあらゆる面で活用すべき、それぞれの地域の潜在的な資源が眠ったままであるということではないでしょうか。
【ソムニードの過去3年間の活動】
ソムニードの過去3年間の取り組みを一言で言えば、地域社会が毛細血管になるのではなく、それぞれが心臓と頭を持ち、自分で血液を供給しつつ他と分かち合うためのつながりを編み上げていく。その方向を目指してコミュニティーを強いものにしていく。その第一歩が、自分のみの周りの資源を見直し、その使い方を改めて考えていくということでした。翼を広げることはほどほどに、足を付けるべき大地も十分保って、両者のバランスをとっていこうというのが、趣旨です。2007年から2010年まで、JICAの草の根技術協力として行ったインドでのマイクロ・ウォーターシェッド事業は、そのような趣旨で行った活動でした。
ここで過去3年間の出発点を見直してみると、2007年に策定された「基本理念」では、以下のような現状認識を示しています。
『(1)グローバル化で象徴される現代は、大いなる可能性の時代でもあるが、また人類史上もっとも富の不均衡が際立つ社会である。特に最近10年、この傾向は著しく拡大している。
(2)人間社会の三大構成要素-経済、環境、コミュニティのうちの経済が突出し、経済の土台そのもの、すなわち環境、コミュニティを著しく脅かし、この構成要素間のバランスをそこなっている。
(3)(1)と(2)とは、表裏一体の関係にあり、特に(2)における市場経済の突出が、先進国と途上国とを限らず、地域のコミュニティ、特に農村部のコミュニティに深刻な危機をもたらしている。
特に開発途上国の僻地の農村部では、外部からの圧力による自然資源へのアクセスの低下、市場経済への地域経済の否応なしの統合などが、十分な準備期間と保護策もなしに起こっている。したがって、この波に抗しきれないコミュニティは崩壊していき、住民は都市への実質的な難民として流出していく。それは社会の安定への大きな脅威であり、また、後に残された自然資源の荒廃をもたらし貧困と自然の荒廃の悪循環を生み出している。』
このような現状認識に立って、「基本理念」は以下の活動方針を示しました。
『ゆえに、ソムニードが当面活動の方針とするのは、コミュニティの再生、強化である。すでに崩壊しつつあるコミュニティの再生と、まだコミュニティが揺らいでいないところでは、グローバル化に伍し、新しい波とコミュニティの本来的な長所のバランスをとっていける強さを作り出すことである。それは、自然資源を中心としたコミュニティの共有財産を、コミュニティが新しい社会環境の中で維持、管理、運営していく状態を作り出すことが核となる。』
この方針を現実のものとすべく、ソムニードは2007年から2010年にかけて、インドのアーンドラプラデシュ州の山村において、「地域住民主導による小規模流域管理(マイクロ・ウォーターシェッド・マネージメント)と森林再生を通した共有資源管理とコミュニティ開発」事業をJICAの草の根技術協力プログラムによって実施しました。
この事業がどのような意味を持つのかは、すでに上述しましたが、具体的な方法論としては、この事業を通して、基本理念で述べられた問題認識と課題意識をいかに現実の解決策に結びつけていくかという方法論を確立することができました。また、この間の活動、調査等をつうじて伝統的なコミュニティがいかに崩壊していくかという過程を、近代化の文脈の中で具体的に明らかにすることができました。この流れは、日本でもインドでも、そして他の開発途上国でも同じです。また、今回の震災で明らかになった地方の、あるいは日本が築き上げてきた社会の弱点も、同じ流れで作られてきたものです。この点に関して、ソムニードの2人の代表理事、和田信明と中田豊一は、その著書「途上国の人々との話し方」の中で詳細に述べています。
日本のような先進国と、つまり市場経済が完全に社会の隅々まで行き渡り、人々の生活に根付いている社会と、開発途上国の地域社会では前提として異なることも多々あるのは、当然のことです。そのとき、よく言われることの一つがマネージメント能力の有無です。しかし、ともすれば抽象的な内容になりがちなそのマネージメント能力の提要は、実現したいことを計画という形で時間軸に置き、また数量化するということが柱となっています。この事業において特筆すべきことの一つは、そのような意味でのコミュニティのファイナンシャル・マネージメント能力をつける活動を組み込むことができたことです。これは、自分たちで予算を立て、それを実施していく、つまり実際に財務を扱うという、いわばものごとの核心の部分を村人が担うことで実現しました。
一方日本国内での活動はどうだったでしょう。ソムニードの国内での活動は、最初は高山市の一隅で地域の交流の場づくりをすることから始まりました。21世紀が始まってまもなくのことです。同時に、主な海外の活動地であるインドを身近な問題として、自分たちの生活を振り返るための触媒として考えてもらうような取り組みも始めました。主な対象は小学生で、開発教育的な側面の強い取り組みです。そして、過疎、高齢化という日本の地方がもっとも大きな課題として抱える事態と直接にかかわる「アジアからのお嫁さん」に、国内としては初めて、プロジェクトとして組み立てる事業として取り組みました。
このように、ソムニードのこれまでの日本での活動をざっと俯瞰してみると、
1)高山市の通称空町地区における活動、
2)インドで収集した「廃材」を利用したクラフト材の試験的生産とクラフト教室の開催、
3)中国人、フィリピン人などのいわゆる「アジアからの花嫁」の地域への同化の支援
となります。
1)については、拠点を作ってお年寄りに来てもらい、様々なイベントを催すことで世代間、あるいは国を超えた交流の場を作り出す試みであったが、当該地域が「ベッドタウン」と化していたこともあり、活動を地元民が担うという展開にはなりませんでした。この試みは高山の市街地で行われたものでしたが、過疎化、高齢化という側面だけで見てみれば、山村と同じ状況であり、山村地域で活動を展開するための多くの示唆を与えてくれたということができます。しかも、この試みは、結局は日中人がいなくて孤立する高齢者をどうするか、という高齢者福祉的なアプローチを取らざるを得ず、またそのようにしてできた枠組みを超えるものではありませんでした。
3)は、過疎地域に残り続け、生産現場を維持している男性たちの「お嫁さん」がいないという深刻な問題の解決策として、外国から「お嫁さん」をもたらすという事態が作り出した状況への対応です。飛騨地域を見てみると、中国、フィリピンからの「お嫁さん」たちが、ほぼ全域に存在していることが分かります。特に、山間地の過疎の集落にその存在が目立ちます。あるいは、逆に山間の過疎の村であるからこそ、そのような「嫁入り」を望む状況にあると言えるでしょうか。いずれにせよ、どれだけ当該集落の人口の自然増に貢献するかは未知数として、人口の再生産が期待できることは間違いありません。また、「お嫁さん」たちがどれだけ地域に根付いて生活できるかは、単に集落を物理的に存続させるという以上に、集落の未来に決定的な要素となることは疑いありません。それだけに、地域でどのような受け入れ体制を作っていくのかは、地域の未来を左右します。しかし、高齢化が進んだ集落では、集落だけでこのような受け入れ体制をつくるなど、なかなか難しいことです。
このような状況に対して、ソムニードは、一言で言えば、地域に「点」として存在するお嫁さんたちの孤立を解消し、地元の社会と共生していく、あるいは相互の違いを活かして新しい文化が創出される過程を支援する活動を行ってきました。ただし、組織としては3年間の活動を維持するのが精一杯で、さらに系統だった活動を継続するには至っていません。それには様々な理由がありますが、2点あげるとすれば、一つは、ソムニードにこの活動に専従を置くほどの人的な余裕がなかったということ、すなわち専従を置く根拠となる人材の確保(育成も含む)と資金の確保ができなかったこと、そして何よりも到達目標の設定が曖昧だったことです。別の言葉で言えば、中、長期的なビジョンに基づく活動の設計がなかったことです。このように、他の活動も含めて、日本の地域のコミュニティに対する働きかけ、活動としては、まだ実体的にも方法論的にも十分ではなかったことは否めません。
したがって、今後国内の地域での活動を展開するためには、上記の活動での達成点とそして弱点を克服することが必要となります。
達成点としてあげられるのは、活動を作り上げる技術です。何よりも、ソムニードは地元にすでにある活動、あるいは活動の萌芽というものを尊重する態度を取ってきました。別の言い方をすれば、外から活動を持ち込まないということです。むろん、場合によっては活動を「外から持ち込む」ことが必要なこともあり得ます。しかしながら、地域での活動が一過性のもので終わらないためには、地元の人が活動を担い続けることが不可欠であることを思えば、すでにある活動を後押しし、展開を支援するという方が効率的であることは言うまでもありません。そのためには、どのように地域に入り、そのような活動を見いだしていくか、あるいはそれ以前に地域の人々との信頼関係を作り出すか、ということが重要になります。空町のケースと言い、アジアからの花嫁の支援と言い、この点にソムニードの技術が活きていることは明らかです。
しかしながら、この2件とも試行錯誤の域を出るものではありません。なによりも、成り行きでスタートし、その場その場で利用できる人材、資金で対応せざるを得なかったという面があります。ただし、日常生起する諸々は、すべてこのような性格を持っている以上、それが当然だという見方もできます。しかし、その場での対応をしつつも、中、長期的な展望を見いだし、それに沿って徐々に活動を設計していくという点に関しては、まだ組織として対応しきれませんでした。今後取り組む活動においてこの轍を踏んではならないでしょう。
【これからの活動】
これから3年間の活動の方針については、いかの順で述べます。
国内事業
海外事業
人づくり
1)国内事業
まず、国内事業です。
冒頭に述べた震災からの学びにもかかわる一連の数字があります。日本における人口の都市への集中を表す数字です。まず数字を紹介する前に、「過疎」という言葉が何を意味するかを確認しておきます。
「『過疎』という語は、1966年に経済審議会の地域部会中間報告で初めて公式に登場した。翌年まとめられた同部会の報告は次のように述べている。
『人口減少地域における問題を『過密問題』に対する意味で『過疎問題』と呼び、過疎を人口減少のために一定の生活水準を維持することが困難になった状態、たとえば防災、教育、保健などの地域社会の基礎的条件の維持が困難になり、それとともに資源の合理的利用が困難となって地域の生産機能が著しく低下することと理解すれば、人口減少の結果、人口密度が低下し、年齢構成の老齢化が進み、従来の生活パターンの維持が困難となりつつある地域では、過疎問題が生じ、また生じつつあると思われる。』」
これを簡単にまとめると、
1)コミュニティの維持が難しくなる
2)それに伴い、資源の維持管理が難しくなる、
ということです。この引用にある「防災」、「教育」、「保健」は近代的用語ですが、それに該当する伝統的な村の機能もあるので、そのような機能の現れ方は様々ですが、しかしながら、そのような社会的機能の維持が難しいということです。また、資源の合理的利用と言いますが、合理的か非合理的かは置くとして、資源の利用そのものが難しくなっていることも事実です。これが過疎の意味です。
さて、過疎の裏側には何があるかと言うことを示すのが、以下の数字です。
『平野部への偏在
日本は山地を多く含む国であり、人口は都市部や平野部に集中している。日本の過疎地域のデータによれば、2006年4月時点で過疎市町村となっている地域の面積は 204,329km²で全国面積に対する割合は54.1%、そこに居住する人口は約1064万人で全人口に対する割合は 8.3%、この地域での人口密度は52人/km²となっている。逆に、残り45.9%(173,506km²)の地域に、総人口の91.7%(約1億1711万人)の人が住み、この地域での平均密度は675人/km²となる。・・・・
都市化の目安となる人口集中地区の統計によれば、2000年(平成12年)に、DID地区(Densely Inhabited District:人口集中地区)の面積は12,457km²(新潟県の面積とほぼ同じ)、そこに居住する人口は約8,280万人で総人口の約2/3(65.2%)、この地域での平均人口密度は6,647人/km²となっている。』
ソムニードの所在地である岐阜県で過疎地として指定されているのが飛騨市、下呂市、そして白川村です。人口密度はそれぞれ33.9人、42.6人、そして5.2人。どこからが過疎であるという数字上の定義はありませんが、上記引用にある国土面積の54.1%における人口密度は、立派に過疎であると言えます。さらに、政令指定都市の浜松市の人口密度が538人、岡山市が890人ですから、上記引用の国土面積45.9%の方の人口密度は、政令指定都市並であると言えます。つまり、極端なことを言ってしまえば、日本は現在、政令指定都市並の都市か過疎地しかない、ということです。
さらに、大都市への人口の集中という点で見ると、人口60万人以上の都市に住む人口は平成17年(2005年)で39,843,702人であり、その人口が占める面積が4426.29平方キロメートルであるから、実に日本の人口の31%が新潟県の3分の1の面積にひしめいていることになります。
過疎の定義によると、過疎とは、1)コミュニティの維持が難しくなる 2)それに伴い、資源の維持管理が難しくなる、ということでした。この定義の通りだとすると、日本の面積の半分以上は過疎地ということになりますから、すなわち日本の面積の半分以上で資源が使われていないということになります。あるいは、全く使われていないというより、震災からの学びのところで述べたように、資源のごく一部、商品化できるところしか使っていないといえるかもしれません。状況的にはその資源が使われていない面積は年々増え続けています。極端な都市化、人口の都市への人口の集中は、明らかに日本の危機であることは、今回の震災がもたらしたものを見れば、明らかです。
日本のこのような極端な都市への人口の集中は、第2次世界大戦後の高度経済成長期に政策的に意図的に行われたことですが、しかし和田と中田の共著でそのメカニズムが明らかにされたように、それは、近代化、市場経済の浸透に伴う必然的な側面ももっています。その証拠に、都市への人口の集中は日本だけの問題ではなく、途上国における大都市でのスラムの増大という現象にも現れています。
したがって、日本の過疎地域において活動をするときは、上記1)と2)を見据えて具体的な課題を探り当てる必要があります。何よりも、過度に高齢化が進んだ場所では、人的資源を地元で見いだすということには相当な困難が伴います。その場合、自然資源、インフラ、人的資源の何がどれだけ、どのように地元で見いだすことが可能であり、何を外部から導入する必要があるのか、冷静に見極める必要があります。これが、今後国内で事業を展開していくときの基礎だと言えます。
2)海外事業
海外事業に目を転じます。
ソムニードは、今後3年間で西アフリカで活動ができる条件を整えていくつもりです。西アフリカという地域を対象としていくことについては、国際協力の現場でもっとも日本のプレゼンスが低いところを選ぶという意味があります。それは何よりも、ソムニードがこれまで培った技術をそこでこそ活用していかなければならないという使命感に基づくものでもあります。
西アフリカと言っても広い。ソムニードがとりあえず目指そうとするのは、サヘル地帯です。サヘルとは、サハラ砂漠南縁部に広がる半乾燥地域です。
『 サヘル地域は北のサハラ砂漠より比較的湿潤で、半乾燥草原から灌木の茂るサバナへの移行地帯にあたり基盤は脆弱なものの緑に覆われた土地であった。そのため語源が示す通りサブサハラ世界の北岸として、サハラ砂漠を縦断するサハラ交易を通じガーナ王国やマリ帝国、カネム・ボルヌ帝国などが繁栄するなどいわゆる歴史的スーダンの中核的な役割を果たしてきたのである。しかしその後は深刻な砂漠化やサハラ交易の衰退などの問題に直面しているのが現状である。
現在サヘル地域に存在する国家は、セネガル、モーリタニア、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、ナイジェリア、チャドなど。
環境
水資源と土壌の肥沃性に問題があるため、サヘル地域の耕地としての生産性は高くない。雨季を中心に年間150mmから500mmの降雨量があるが、年により大きな差があり、またサヘルが砂漠であった12500年前頃に砂丘の働きで形成された土地はアルミニウム濃度の高い酸性土壌で、窒素やリンに乏しいためである。
移牧
この地域の南北を比較すると、北に行くにつれて乾燥が進むものの土壌養分が増すという特徴がある。サヘルではこの特性を利用して、雨季は土地の肥えた北部で放牧するが乾季になると豊富な牧草を求めて湿潤な南部まで時には数100kmにも至る大移動を行う、移牧による持続力のある半農半牧の生活が古くから営まれてきた。しかし現代では肥沃な地域を中心に定住化が進み、こうした放牧民との対立が表面化している。
旱魃
サヘル地域の降水は不安定で、そのため旱魃が発生しやすい状況にある。1914年に降水不足からの旱魃とそれに伴う飢饉が広範囲にわたりこの地域に被害を与えたほか、1968年に始まる大旱魃ではモーリタニア、マリ、チャド、ニジェール、ブルキナファソを中心に100万人が命を落とし5000万人が影響を受けるなどさらに深刻な事態に陥っている。この問題に際し国際連合は国連スーダン・サヘル事務所(UNSO)を設け対策にあたったほか、国連の専門機関として国際農業開発基金が設立された。なお1996年に砂漠化対処条約が発効した際にUNSOは世界的な砂漠化に対処すべく国連開発計画砂漠化対処事務所とされた。
1968年からの大旱魃は直接的には過放牧、薪炭材の過伐採、粗放的な土地利用が原因である。また先立つ1960年代に一時的に降水量が大きく伸び、そのため肥沃になった北部への移住を政府が後押ししたことも被害をより深刻なものとした。しかし2000年前後になされた気候モデルの解析によれば間接的な原因として世界的規模での気候変動が存在し、さらには地球薄暮化がその一端を担っている。つまり北アメリカやヨーロッパ諸国で発生した大気汚染が大西洋上空の雲に影響を与え、その結果モンスーンの発生が抑えられて雨林帯を南方へ引き下げるのである。』
これを要するに、環境的にはきわめて厳しい場所であるということです。しかし、ここでは簡単にしか述べられていませんが、この背後には、移牧を止めて定住化したために、自然資源の使い方が大幅に変化したということと、さらには近年の爆発的な人口増による資源の過剰な利用という事態が存在します。もともと雨量が少なく、肥沃な土壌が少ないというハンディがあるにしても、これはインドをはじめとして、いずこの途上国にも見られる現象です。
これ以上は、実際に調査をした後の具体的な事例を待たなければなません。が、あえてこれから西アフリカを目指す理由は簡単です。西アフリカは、概して現在では世界の最貧困地帯と言われていますが、ソムニードは貧困を状態ではなく現象として認識しています。そして、このような認識のもとにこれまで培った方法論を、より困難な状況の下に活かしたいというのが、その理由です。ここでも注目する要素は、コミュニティとその資源であす。それは、私たちの培った方法論がコミュニティと資源のダイナミズムにを常に視野に入れるものだからであり、だからこそ個別性を尊重しつつも各地で共通項と関連性を見いだすものだからです。当面の方針としては、調査と案件の形成に1年半から2年をかけます。
ところで、西アフリカは現場として新たに広げていこうとする場所ですが、これまでの現場では何を目標とするのか、述べなくてはなりません。
この3年間、インドとネパールで試みてきたことは、コミュニティーが管理できる地理的範囲で資源を維持していく技術を築き上げることでした。それが何を目指すかは、すでに述べました。今後は、維持できるようになった資源をいかに活用していくかという側面を取り上げます。もちろん、活用するための大前提は、資源を維持しつつ活用するということです。しかしながら、同時にいかにコミュニティーが持つ優位さを保ちながら市場経済と折り合いをつけていくかということは、容易なことではありません。しかも、途上国では、まだまだ農村部でも爆発的といってもいいほどの人口増があります。このような状況下で、農業を中心とする生産活動をどのように計画的に行っていくか、別の表現をすれば、どう生産活動をデザインしていくか、その技術を探っていくのが課題です。
3)人づくり
人材育成に関しては、まず第一に、この3年間、中田の努力により、ようやくメタファシリテーションという体系的な方法論が確立したことにより、ソムニードとして系統的な人材育成を行っていくための理論的根拠ができたということができます。ソムニードの経験を通した全くオリジナルな方法論が確立したことで、現場での質を団体として保証するための手段を得たと言えます。したがって、まずなさねばならないことは、組織内での研修を確立することです。そのため、新人の研修を始め、職員の段階に応じた研修を体系的に実施する必要があります。
さらには、ソムニードの現場を活かしつつ、常に現場のリアリティに基づいた研修を、組織外の人々にも提供し、一人でも多くの人が現場でこの方法論を使えるようにすることも、組織としての大事な使命です。そのためには、広報、人集めを大きく発展させる必要があり、当面、中田が在住する関西にも拠点となるような足場を確保します。
外部向けの講座としては、中田の「対話型ファシリテーション講座」を中心として、従来の「マスターファシリテーター講座上級編」、「コミュニティ開発講座」などを整理し直し、国内外に汎用性を持つ一貫した研修体系を作り上げなければなりません。また、それに関連してテキスト類を整備する必要もあります
以上が、ソムニードが今後3年間の活動の指針とする中期方針です。
4月17日付中日新聞の記事に「東日本大震災の犠牲者で年齢が確認された9112人のうち、65歳以上の高齢者が4990人に上り、全体の54・8%を占めていることが17日、共同通信の集計で分かった。岩手、宮城、福島の3県いずれも各県の高齢者率の2倍を超え、高齢化が進む地域で災害弱者が津波にのまれた実態が浮き彫りになった」とあった。
「人口から読む日本の歴史」鬼頭宏 講談社学術文庫 2000年
4月17日付中日新聞の社説『黙とうと明日への気力 大震災の現場で考える』によると、日本全国で海岸沿いに平均5.6キロごとに集落が一つあり、その数は約6,300。被害を受けた三陸海岸も、一つの集落あたり30から50世帯の集落が数多くある。そのような集落の多くが壊滅的な被害を受けている。もちろん、全て過疎高齢化の進んだ集落ばかりである。高齢化のために、漁業の自給率は現在60パーセントまで落ちているということだ。つまり、過疎高齢化は地域の資源を十全に活用することをも阻害するということだ。
中日新聞4月16日付の記事『コンビニ1割、再開できず 供給体制見直しも課題』によると、大手コンビニ4社が東北地方に展開する1500店のうち、1割強の162店が、津波で店舗そのものが流出したり、あるいは原発の避難指示区域にあるため再開できていないとのことである。また、再開できた店舗でも品不足が続いている。「サークルKが大阪から商品を送るなど、各社が他地域から商品を補充しているが、供給の本格回復には東北の弁当工場や配送センターの復旧が不可欠。ローソンが5月中旬の全面復旧を目指すなど、各社が修復を急いでいる。ファミリーマートの上田準二社長は、供給体制が混乱した背景を「(物流の効率化のため)配送センターと米飯工場を一体化した強みが、弱みにもなった」と説明。施設分散など、災害に備えた仕組みづくりが必要となりそうだ」とある。これは食料などの日常の生活必需品に関することだが、同じことがエネルギー供給でも起こっている。
数字共々Wikipediaからの引用
Wikipediaよりの引用
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